あぁ……
夏が終わってしまった……
いや、まだまだ猛暑が続いているんですが、ここでいう“夏”とは“夏休み”。しいては『だがしかし』のことです。
月日が経つのは早いもので、仕事やプライベートでのあれこれに追われている内に、気が付いたら県内の花火大会シーズンも終わっていました……
花火。
そう、花火です。
仕事帰りにたまたま眺めた、どこかのお祭りの打ち上げ花火。
次々と打ち上がる花火を見て、あのシーンに想いを馳せていました。
ずっと緩くて心地良い日常系が続いていくと思っていた、あの頃……
したり顔で「マンネリ化するぐらいなら潔く終わってほしい」とか言いながらも、割と真面目にサンデーのこち亀として生き残っていける……と考えて(いや、願って)いました。
少しずつ滲みでる、終わりへの流れには気が付かない振りをして……
そうした腑抜けの横っ面にガツン!と来たのが……
そう、ほたるんの失踪です。
あれは衝撃的でした。例えるなら、FF7でエアリスが死んだ時……と言えば、同世代には通じるでしょうか?
悲しみとか嘆きとかではなく、「え?マジ?…嘘だろ?」という、『それを事実として受け止めない』という自己防衛のような感情です。
だから、あの時のココノツに感情移入していました。
もしも、あの流れのまま、あの雰囲気のまま、あと2~3週続いていたら、自分も暗黒面に堕ちて行ったかもしれません。
だから、ある意味、サヤ師の告白には救われたのです。
あの時の感想はギャグとして書きましたが、割とマジであのページを見た時の心情そのままだったりします。
ほたるんが失踪している最中に、ココノツとサヤ師のラブコメが始まったら俺はどうしよう?
サヤ師に対する俺の云々ではなく、マンガとして、そんな超展開は見たくねぇ!…と本気でページをめくるのを躊躇したんですよ。
でも、そうはならず、むしろ普段の『だがしかし』が始まったので、リアルにホッと安堵のため息をついたぐらいです。
…というか、ほたるんの失踪に自分がそれほど動揺していた事に気が付いた瞬間でもありました。
だから、ほたるんが不意に現れた時の見開きにどれほど痺れたことか……
……とまぁ、湿っぽい話ばかりになってしまいましたが、そういう訳で、やはり『だがしかし』の思い出といえば、あの花火大会のシーンが一番印象深いんですよね。
今にして思えば、良くも悪くも終わりに向かって走り出したあの日から、物語の隙間……というか、行間が読めるような意味深な1コマというのが増えていったように思えます。
だからこそ、私たち読者は、物語中では決して語られることのなかった設定や、ヒロイン達の心情を、あれやこれやと考えたのではないでしょうか?
このBlogでも、多くの方から様々なご意見をいただきました。
そのひとつひとつが「なるほど」「ごもっとも」と、うなずけるものばかりです。
自分では思い付かなかった発想を読んでは、いつもひとりでニヤニヤと笑っておりました。
それは一粒で二度も三度も楽しめる駄菓子のような楽しみ方だったのでしょう。
きっと、コトヤマ先生が劇中のあれやこれやに明確な答えを出さなかったのも、これを狙っていたのではないかと考えてしまいます。
駄菓子の楽しみ方が千差万別なように。
駄菓子屋での遊び方が十人十色であるように。
読者の想像力分だけ『だがしかし』がある。
夏の終わりに夜空を彩る花火のように、唯一無二にして多種多様のハイテンション駄菓子コメディー。
やっぱり、だがしかしには夏がよく似合う……
……と、そんな自分勝手な想いを、花火を観ながら考えていた今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
自分はどうせ花火を眺めるなら、うまい棒ぐらい買っておけばよかった…と、がっくし orz しておりますw
……いや、ホームランバーかな?
いずれにせよ、来年への宿題といたしましょう。
そう、夏は何度だって巡ってくるのですから。
追伸、
最後の最後でノルマ達成できず…… w
そして、コトヤマ先生!
次回作を楽しみにお待ちしておりますm(_)m