ハヤテのごとく!とは一体何だったのだろうか?
最終回を読み終わった直後から総評のようなものを書き始めて……、そこで詰まった。
最終巻の購入報告をしたら、総評を公開してハヤテのごとく!に関する更新は止める。
それが自分が考えていた、自分なりの終わせ方だった。
どうせ文句しか出てこない。サクッと書き終わる。
そう思いながら書き始めた………が、書き上げられない。
問題は2つ。
1つ、文章が長い。くどい。てんこ盛り過ぎる。
2つ、内容がクソ。面白味も何にもない。
この2つが合わさって、書いた本人が読み返すのも苦痛なレベル。
これじゃない。俺が書きたいこと。言いたいことはコレじゃない。
そう想いながら何回もアプローチを変えて書いてみたが、生み出されるのはクソの山ばかり。
まるで他人を不愉快にする装置を作っているかのようだった。
何故だろう?
当たり前だ。
延々と文句しか書いてなければ、それは総評や感想などではなく文句にしかならないからだ。愚痴を垂れ流しているからだ。
ならば……と、良い点も書いた。如何にしてこの作品にハマったのかを書いた。
今度は空々しくなった。
わざとらしくなった。
わからなくなった。
自分は総評という言葉を借りて、何を語りたかったのか?
ハヤテのごとく!とは、自分にとって一体何だったのか?
何を書いても最後にはその問いかけに突き当たり、……詰まる。
正直に言えば、これを書いている今でも答えが出てこない。
単純に、そして、簡単に言えば、大好きだった作品だ。
単行本を3冊以上買う、いわゆるオタク買いをしたのは、今のところハヤテのごとくだけである。
それ故に最も落胆した作品とも言える。
「大好きだった」と過去形にするのに躊躇わないほどに…
もう、総評なんて「終わり良ければ全て良し」で簡単に終わらせてしまえばいいじゃないかと何度も思った。
それでも、書き出した草案を読んで、これではない。これでは語り切っていない事があるんだと、キーボードを打ち続ける。
これは最初期の頃から感想を書いて来たからという、くだらない見栄なのだろうか?
老害と呼ぶべき古参の妄執なのだろうか?
それとも未練か……
違う。そうじゃない。
そうではない。それでもないと何かが言う。
終わらせるために総評を書こうと決めた。
これをもって、ハヤテのごとく!を見送るために書こうと思った。
では、俺は何を書くべきなのだろうか?
こうして稚拙で恥ずかしい文章を、人前に晒してでも文字を綴り続けるという理由こそが、ハヤテのごとく!へ送る手向けの言葉になるのではないだろうか?
それは一体、何なのだろうか?
……………そう、
楽しかった。
毎週、ハヤテのごとく!の感想を書くことが楽しかった。
特にヒナギクさんやサキさん。咲夜やアーたんなど、魅力的なキャラクターが見せる一喜一憂について語るのが大好きだった。
インターネットの片隅で「俺はヒナギクさんが大好きだ!」と叫ぶのは快感ですらあった。
この楽しみは、今も別の作品で続けている。
可愛いヒロインにヒャッハー!!と叫ぶ快感に酔いしれている。
多分、その作品が終わっても、また別の作品を見つけて、自分はこの楽しい時間をバカのひとつ覚えみたいに繰り返すのだろう。
正直に言えば、毎週感想を書くのがツラい時がある。煩わしい時がある。
それでも面白いと思った作品の感想を書くことが止めれないのは、どんな状況だろうとそれが楽しかったというハヤテのごとく!での経験があるからだ。
……はてさて、総評を書こうとして全く違う何かになってしまったが、最初の問いに戻ろう。
結局、ハヤテのごとく!とは一体何だったのだろうか?
正直に言えば、これを書いている今でも答えが出てこない。
何故ならば、喜怒哀楽入り混じったとても沢山の想い出がありすぎて、語り尽くせないからである。
だが、伝えたい言葉は見つかった。
語るのでも、答えるのでもなく、伝えたい言葉が見つかった。
だから、これは総評ではなくメッセージなのだろう。
そしてそれは、自分にとっては皮肉なことに、あのクソったれな借金執事のセリフを引用したものとなったが、この言葉を最後の締めとしよう。
「キミを語りたいって気持ちは……
13年経っても変わらなかったよ。」
ありがとう。